沖縄・那覇で観光バスに乗ると、どんなコースでもまず最初に向かう観光地は首里城です。
観光バスは那覇市内を見下ろす長い坂を上り、首里城公園の地下駐車場へ入っていきます。
バスを降りて駐車場を出るといきなり守礼門の前に出ます。ここで門をバックに琉球衣装を着た綺麗なお姉さんと記念写真を撮ります。
後は門を幾つか潜り正殿に入場します。正殿を一回り見学してバスに戻ると次の観光地点に向かいます。
これが観光バスで首里城へ行った場合のコースですが、バス以外、モノレールとか路線バスで行った場合はもう少し詳しく、じっくりと観光できます。
一番のお勧めは真珠道散策コースです。真珠(まだま、と読みます)道は首里城に始まり金城石畳道へ至り、さらに足を伸ばせば識名園まで通じるコースです。首里城から金城石畳道までは日本の道百選にも選ばれた心癒される道です。ゆっくり小鳥のさえずりを楽しみながら歩いてください。
金城石畳道の中ほど、左へ入る細いわき道があります。入り口には「金城オオアカギへの道」と書いてあります。
住宅地の中をクランク上に抜けるとオオアカギという巨木が見えてきます。全部で6本あります。
琉球時代に村人がここを通ると霊気を感じた所として崇められてきたパワースポットです。
太平洋戦争における沖縄の悲惨さを今に伝える慰霊碑、それがひめゆりの塔です。
沖縄の糸満市に位置しており、建立されたのは戦後のアメリカの占領下にあった1946年8月のことです。名前に塔とありますが、高さは数十cmほどとそれほど高くありません。
このひめゆりの塔の歴史で語らなければならないのは、建立のいきさつです。ひめゆりの塔の名前の由来となったひめゆりとは沖縄師範学校女子部と沖縄県立第一高等女学校の女子生徒合わせて222人からなるひめゆり学徒隊のことを指します。慰霊碑の真下には洞窟の跡がありますが、これは最後まで看護活動にあたっていた旧陸軍第三外科壕です。この外科壕では1945年6月18日に陸軍から解散命令を受けた学徒隊が脱出直前の19日の朝に米軍のガス爆弾といった激しい攻撃を受け、壕にいた96人中87人が死亡しました。生き残った人も激しい戦闘で命を落とし、結局222人中136人が死亡する惨事となったのです。戦後この壕は戦死した生徒の親により発見され、集められた遺骨とともにこのひめゆりの塔が建てられました。
ひめゆりの塔に隣接してひめゆり平和祈念資料館が建てられています。6つの展示室に分けられており、命を落とした人の遺品や生還者の証言など戦争の実態がわかりやすく展示されています。