太平洋戦争における沖縄の悲惨さを今に伝える慰霊碑、それがひめゆりの塔です。 沖縄の糸満市に位置しており、建立されたのは戦後のアメリカの占領下にあった1946年8月のことです。名前に塔とありますが、高さは数十cmほどとそれほど高くありません。 このひめゆりの塔の歴史で語らなければならないのは、建立のいきさつです。ひめゆりの塔の名前の由来となったひめゆりとは沖縄師範学校女子部と沖縄県立第一高等女学校の女子生徒合わせて222人からなるひめゆり学徒隊のことを指します。慰霊碑の真下には洞窟の跡がありますが、これは最後まで看護活動にあたっていた旧陸軍第三外科壕です。この外科壕では1945年6月18日に陸軍から解散命令を受けた学徒隊が脱出直前の19日の朝に米軍のガス爆弾といった激しい攻撃を受け、壕にいた96人中87人が死亡しました。生き残った人も激しい戦闘で命を落とし、結局222人中136人が死亡する惨事となったのです。戦後この壕は戦死した生徒の親により発見され、集められた遺骨とともにこのひめゆりの塔が建てられました。 ひめゆりの塔に隣接してひめゆり平和祈念資料館が建てられています。6つの展示室に分けられており、命を落とした人の遺品や生還者の証言など戦争の実態がわかりやすく展示されています。